思いを読み解く。
うっかり次女と寝落ちして、真夜中に目を覚ましてしまいました…
明日のご飯の支度をしたり、書類をチェックしてみたり、
寝てしまえばいいのに、ブログまで書く。。。
赤ちゃんといるとやりたい!って思った時に動けるってことがそうそうなく、時間が
ものすごく大切に感じます。動く癖がついて、元来ナマケモノの私にはいいのかも。
そして、ブログを書くこと、思いを言葉にする試みは伝えることを尽くす練習にな
り、口べたな私にとってとってもよい感じなのでやり続けたいと思っていることなので
す。
明日、起きれるかなーという心配もあるけれど、明日のことは明日決めようっと笑
さて、タイトルのことですが、
最近、会議やそのほかの場所で、支援者(相談員、学校の先生、児童デイ)とお話しす
る場面で感じることです。
ちなみに、会議とは、福祉サービス利用者(子供)に対し、関係者が集まって近況や課
題、計画の見直しをする会が1カ月~4カ月に1回程度持たれます。
会議の中で、子供の近況の中で「困った行動」が話題にあがります。
たとえば、
・授業中、キョロキョロして集中しません。
・友達のものを横から奪います。友達を叩きます。
・鉛筆をがりがり噛んで鉛筆がボロボロです。
などなど…
結構よく聞く「困りごと」です。
上は例ですが、そういった子供たちの近況に対して、
あれこれ話をします。
その中で、こういったエピソードを聞いたときに、
「おもしろい」とコメントする人、います。。
「へぇー、おもしろーい。」「へぇ、おもしろいね。」(…話切り替わる。以上。)
え、おもしろい?
(ここから、やや毒舌モード)
は?
え?
なんだって???
それは感想?
それとも私は分かってますよーという受容?
分かってるならば、
解決策まで教えて。どうかお願いします。
いやっ、そもそも全然おもしろくないから。
その感性を貴重な時間を使っている会議で発表しなくていいから!!
この1分返せ!
(毒舌モード終わり。)
ちなみに、私は「おもしろい」という言葉は、嫌いじゃなくて、むしろ好きです。
いや、当のこどもは全然おもしろくなくて、逆に「困ってて起こしている」こと
がほとんどです。「困りごと」は保護者の立場からもそうですが、こどもにとっても「困りごと」なのです。
だから、この場面で「おもしろい」というのは支援者の怠慢だと思う。
たとえば、「鉛筆をがりがりかむ」というのは、
発達につまづきがある子に対しては、授業がつまらないけど、
頑張らなくちゃいけないから、自分で刺激をいれて(がりがり噛んで)集中をしてるよ、というサインだったりとか、
「きょろきょろして集中できません」というのは、
教室のいろいろなもの(友達の動き、教室の掲示物、机の上にあるもの)が目に入りす
ぎちゃって集中できないよ、困ったよ、というサインだったり
これら理由も一例ですが、そういった理由があるのです。
なので、支援者は思いを読み解いていく、その時に分からなくても
これからわかるかもしれないから、「どうしてそうしたのだろう…?」といつも
同じ目線を探すことをしないと目の前の子を見ることが難しくなります。
分かろうとする人に、子供は思いをお話ししてくれることも大いにありますしね。
あ、なんかいいこと書いたなー。そういう私は子育て上手なんだろうね、とよく
言われたり、思われたりしますが、ぜんぜんそんなことはないと自負しています。
本日、私の子供(小6)はニンテンドースイッチのやりすぎで夜更かしして
月は学校をサボりました。宿題をやっていないという理由で。
以前の私だったら、烈火の鬼(怖っ)のごとく怒り狂って、家から外へほっぽりだして
いましたが、もう今日は休む選択を受け入れ、いつも通りに接しました。
理由は怒りって、うちの子にとったら伝わらないんですよね。
(怒りに圧倒されて、真っ白、リセット。すると、覚えていないので繰り返す、
もしくは、怒りに慣れ、忘れて繰り返す)
今日は自分から「ゲームやりすぎた」とゲームを差し出してきました。
社会的にはいいお母さんではないでしょうが、
彼が思いを伝えることができるような空白は残せたかもしれません。
脱線しましたが、つくづく、思いって大切だなーと感じています。
うちの子も発達の子も思いを表現することが苦手な子供たちだから、触れられた時にと
ても大きな喜びを感じます。